あの世の帯

先回のお話の続きです。
その土地についている霊、ひとのまわりについている霊、まだ馴染みやすい感覚がありますが(どちらもなめてしまってはいけないけれど)、でも、それだけではない、やはり強い念のこもった場所、影響を受けている状況もあるので、気をつけるようにしています。
近づかないにこしたことはないですね。
なんだか気持ち悪いなあと思ったら、あまり長居せず立ち去ったほうがよいと思います。
でも、不思議に思って気になってしまうこともあるかもしれませんね。
例えば、なぜか通りたくなって・・・なんでだろう、とか、怖かったけど、何か、気になる・・・とか。
私たちは多く転生をしていますから、自分のどこかの前世の体験とつながっていることもあるでしょう。
怖い体験でなくても、人や土地、神社とかでもそう感じたりすることありませんか?
誰かに、『霊や輪廻転生とか、そういうことを言う科学的根拠は?』ときかれたら、残念ながら私はその質問者を十分満足させる答えを言えないかもしれません。
でも、ある。
『科学的に』とか『現実的に』とかで説明しきれないもの。
世の中には科学で答えが出ないもの、説明できないものがあるんじゃないのかなあ。そう思います。
だから、自分でも霊的なものの見方だけに偏らないように、現実的に捉えて、どういう可能性があるか、要因になるものはなかったか、という確認もするようにしています。
俯瞰してものごとを捉える、ということ。
いろいろな角度からみつめてみること。
この世界でも大切です。
そのうえで、意味を理解するようにしています。
ところで、私が霊体を見かけたとき凄みを感じるのは、今日のタイトルに書きましたが、帯状にたくさんの人が一気に出てくるとき。
私たちが生活しているこの空間の中、少しずれたところにこの世ではない空間もあって、それは空の中に見えるときもあるし、道路上にあるときもあるし、離れていればそれは太くて横に長い帯のように見え、その中ところどころが垣間見えてひとや景色が見えます。
つい近くや交差するところに出くわしてしまうと、大きな姿に古からの何やら物騒な情念でみつめてきます。本当の相手と目の前の相手が違うことなどかまわなくなっているよう。
これらは、見つけてもさらに気づかぬふりをします。
この帯状のこの世ではない様子を、私は勝手にあの世の帯と呼んでおります。